
石田芳夫(1948年~ )日本棋院東京本院 九段
実利派。正確なヨセと目算能力から「コンピュータ」と呼ばれた。地に辛い棋風で、目外しや三々を多用し、両三々も得意戦法とした。ヨセが強いという評価に加えて、序盤構想も意欲的である。
定石や布石の研究にも定評があり、大斜定石の研究家としても知られ、中国流布石に対抗する白番の有力な手法として活用した。
若手時代は同じ木谷門の加藤正夫、武宮正樹とともに「黄金トリオ」「木谷三羽烏」と呼ばれた。
内弟子時代には早くから独立を希望していたが、木谷師匠夫妻は石田の性格上遊び呆けるのが目に見えていたため、許さなかった。何度も願い出た末、「タイトルを取ったら」という条件が示された。すると人が変わり必死に勉強し、何と本因坊を取ってしまった。本当に取れるとは思っていなかった師匠夫妻は「あと一つタイトルを取ったら、今度こそ独立を許そう」ともう一度条件を提示した。すると見事名人も取り、独立を許された[15]。
「部屋住みの本因坊」とも呼ばれた。木谷道場の平塚時代・四谷時代両方内弟子だったのは石田のみである[1]。
