井山裕太九段

井山裕太(1989年~ )日本棋院関西総本部 九段

オールラウンダー[15]。全局的な発想に長けており、定石研究も積極的に行っている。常に最強手を選び、妥協しないことでも有名である。

力戦派。地に辛い碁も厚い碁も柔軟に使い分ける。従来の型・定石に囚われず、「打ちたい所に打つ」を信条にした独創的なスタイル[49]。構想力に優れ、予想外の一手から大胆な変化を選び解説者を驚かせることもしばしば見られる。囲碁AIが人間を超えてからは、AIの手法を取り入れるなど柔軟性も持ち合わせている[3]

形勢の良し悪しにかかわらず、常に「最強手」を模索しており、優勢の局面において手堅い手よりも厳しい手を選ぶことが多く、解説者からもやり過ぎと言われることもある[50]
大の長考派として知られ、勝負所と踏めば序盤から持ち時間を惜しげもなく使っていたが、30歳を過ぎた頃からは、持ち時間を残す打ち方も見られるようになった。

タイトル戦の防衛では、カド番に追い込まれながらも押し返し防衛に成功することが多く「カド番の魔王」とも呼ばれる[4]

囲碁界史上初の七冠独占(2度)及び年間グランドスラム達成[注 1]
囲碁棋士の獲得タイトル数(78) ランキング歴代1位、
七大タイトル獲得数(63) 歴代1位、
七大タイトル連続在位期間歴代1位など、その圧倒的な強さから「魔王」の異名でも呼ばれている[3][4]

年間グランドスラムとは、
1年間で七大タイトル(棋聖、名人、本因坊、十段、碁聖、天元、王座)全てを獲得すること。
年間グランドスラム達成者は、井山さんが歴代唯一人です。

これまで張栩、山下、高尾、羽根らの「平成四天王」とのタイトル戦が多かったが、2020年頃から一力遼、許家元、芝野虎丸ら通称「令和三羽烏」と呼ばれる次世代のトップ棋士達との対戦が増えてくると共に、これまで圧倒的な強さを誇った井山も苦しめられることになる。

2009年 7月本因坊リーグ入り(最年少)。

名人リーグは8戦全勝で張栩名人に対する挑戦権を獲得、4-1で勝利し名人位を20歳4か月で獲得。七大タイトル獲得の最年少記録を更新した(これまでの記録は名人戦では林海峰の23歳4か月、7大タイトル戦では趙治勲が王座を獲得した20歳5か月)。

名人位を獲得することで規定により10月16日に九段に昇段した。この九段昇段により、入段からの8年10か月と九段昇段の最短記録を更新した。

2011年 4月29日、十段戦第5局で張栩十段を下し、初の十段位獲得(21歳11か月での戴冠は十段戦での当時最年少記録・後に伊田篤史が更新)、自身初の二冠(史上最年少)となった。

11月17日、第37期天元戦で結城聡天元を3-0で降し初の天元位獲得(22歳6か月での戴冠は天元戦での最年少記録)。48勝19敗で、日本棋院における最多勝利、最多対局。

2011年 11月22日、60期王座戦で張栩王座を3-0で下し、初の王座獲得。史上二人目の五冠(天元、十段、本因坊、碁聖、王座)となる。

2013年 3月14日、37期棋聖戦で張栩棋聖を4-2で下し、初の棋聖獲得(23歳10か月での獲得は史上最年少)。史上初の六冠となり、史上三人目のグランドスラムも達成(最年少記録)。

2017年 10月17日、第42期名人戦で高尾紳路名人を4-1で下し、名人戦を奪取して2度目の七大タイトル完全制覇を達成した。2度の七冠同時制覇は囲碁・将棋界を通じて初[25]。さらに再び大三冠(棋聖、名人、本因坊)となる。

2018年 国民栄誉賞を受賞[

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