
加藤正夫(1947年~2004年)日本棋院東京本院 九段
力戦派。圧倒的な戦闘力、攻撃力や、死にそうにない大石をもぎ取ってしまうことから「殺し屋加藤」と恐れられた。
一時はヨセの正確さから「ヨセの加藤」と謳われた時代もあった。序盤は厚みを重視することが多い。
同じ木谷實門下の石田芳夫・武宮正樹とともに「木谷三羽烏」「黄金トリオ」と呼ばれた。
棋風とは裏腹に穏和で面倒見の良い人柄で人望が厚かった。
1979年、各タイトルを防衛するとともに王座と鶴聖のタイトルを手にし、本因坊・十段・天元を含めた五冠王に輝く。
1983年、趙治勲から十段位を奪取。勝った3局は全て半目勝ちで、「殺し屋加藤」から「ヨセの加藤」へとモデルチェンジに成功したといわれた。

1970年の本因坊リーグで、大家・高川秀格の大石を一直線に取りかけに行き、93手で撲殺。
高川を「この石が取られるかねえ」と嘆かせ、ここに「殺し屋」のニックネームが定着した。
(左図 1970年本因坊リーグ 高川-加藤戦 93手詰め)
1976年〜1990年まで14年6ヶ月にわたって七大タイトルを保持し、これは日本囲碁界最長記録。七大タイトルのうち、棋聖を除くすべてのタイトルを獲得した。 生涯戦績1254勝663敗2持碁1無勝負(勝数史上4位)。
2002年7月に本因坊を奪取し同月、日本棋院副理事長、2004年4月には日本棋院理事長に就任。この間日本棋院の改革に取り組みながら棋士との二足のわらじを続けた。2004年暮れに脳梗塞に倒れ、12月30日死去(享年57歳)。共に改革に当たり、加藤の後を継いで理事長代行に就任した工藤紀夫はその死を「殉職でした」と表現している。
若かりし 劔正殺し屋 縦(ほしいまま)
殺し屋と 梅安サバク 黒社会
殺し屋の 名にほど遠く 釼正師
理事長と 二足の草鞋 大ナタ振るい