
碁盤あり琴あり窓の竹の春
季語:竹の春 1893年/明治25年
仲秋の名月の下、集く虫の音を聴きながら碁を打つ風情。
碁盤あり琴の音ありて門の竹 kiku
とでも詠めば、これはお正月幕の内。さすれば
琴棋書畫松の内なる遊びかな 虚子
は本句取である。

蓮の實のこぼれ盡して何もなし
季語:蓮の實 1893年/明治26年
黒番の碁を蓮の実に例えた。
周囲を白に包囲されてしまった眼のない黒の大石。
やがて白に取られて焼け跡の如く、黒大敗の碁。
眼前に広がる白の大地に呆然自失。やる気も失せてここで投了。
はたまた悟りきった心境か?子規の短い一生と”死に石”を重ねて、切ない句であると読む人もいるが...

丁々と碁を打つ家の夜寒哉
季語:夜寒 1895年/明治28年
本句と、後年に詠んだ「碁の音の林に」の句と異なるところは対局場所である。本句は自宅で友人との対局風景であり、後年の句は旅の宿であろう。
この頃は体力があり囲碁の面白さに目覚め、句にも囲碁にも勢いがある。因みに93年~98年の6年間で囲碁俳句31句中27句(ほぼ9割)を連作している。

古家や狸石打つ落葉の夜
季語:落葉 1895年/明治28年
kiku作: 子規とお袖狸の寓話
子規には狸をモチーフにした俳句が30句ほどあります。
幼少の頃に出会った狸は可愛い豆ダヌキ、一緒によく遊んだものでした。
餅あげて狸を祀る枯榎 紙の幟に春雨ぞ降る
小のぼりや 狸を祀る 枯榎
霽月(せいげつ)や 蝙蝠つかむ 豆狸
朧夜(おぼろよ)や狸群れたる古社
夕立や穴に逃込む豆狸
イラスト: あらいりょう作画
タヌキの砧(きぬた) – あかしりょうのページ (akashi-ryo.com)

子規が長ずるにつれ、豆ダヌキも美しい娘に。その後上京した子規は、望郷の念に駆られ何句もの狸の句を詠みました。 地元に残ったお袖娘狸はひそかに身を隠していました。
狸棲む一本榎かすみけり
狸ぬれて葎(むぐら)に歸る秋のくれ
百歳の狸すむてう八股の ちまたの榎いまあるやなしや
そのうちお袖ばあさんは、色んな悪戯をするようになりましたが、一方子規の前では芭蕉や蕪村に化身して現れるようになりました。
猿松(さるまつ)の 狸を繋ぐ 芭蕉かな
稲刈りて地藏に化ける狸かな
戸を叩く 音は狸か 薬喰(くすりぐい)
客僧の 狸寝入や くすり喰 與謝蕪村

蕪村は、芭蕉を深く敬愛し、芭蕉の俳諧紀行『おくのほそ道』を主題とした作品を数多く描いています。また、子規は『俳人蕪村』などを著わし、蕪村を高く評価しています。
秋深き 隣は何を するひとぞ 松尾芭蕉
戸をたゝく 狸と秋を おしみけり 與謝蕪村
古家や 狸石打つ 落葉の夜
子規が不治の病を患い絶命した後は、お袖狸は姿を消してしまいました。
狸死に 狐留守する 秋の風
不憫に思った地元の有志の方々はお袖ばあさんの霊を弔い、お袖榎大明神の社を建て毎年供養しています。
意気に燃える20歳代の子規にとって、一時は芭蕉を超克すべき巨壁ととらえ、一気に乗り越えようと精力を集中しました。
しかし、時移り、自身の健康に影が射してきたとき、改めて芭蕉を見直すことになります。道なお半ばにして道を断つ無念、そして同じ碁を愛する心。その共通点を愛おしく思ったのでしょう。晩年の子規の句には、芭蕉を意識し、碁を好んで気分を癒そうとする姿が私には見えてきます。
芭蕉生前最後の句:『病中吟』 旅に病んで
旅に病んで夢は枯野をかけめぐる
芭蕉翁の傍を離れず、寄り添う子規。
今頃、お二人は蓮の臺で談論風発、革新的俳句論や口三味の手談に興じているかも知れません。
参考1: 狸 の俳句 : 575筆まか勢 (exblog.jp);
参考2: 日本語と日本文化 正岡子規を読む;
参考3: 伊予たぬき学会

晝人なし棋盤に桐の影動く
季語:桐一葉 1896年/明治29年
いつもは弟子や友人で賑やかな室も、今日は部屋には子規一人。室に置かれた人待ち顔の碁盤に桐の葉が影を落としている。病の床から時折それに目をやるると、影は一路ずつズレていく…。
移ろい行く葉陰の動き、出来れば自分も起き上がって四丁の影を追うように、暫し盤上を彷徨う衝動に駆られながら、何もできない無力な自分、孤独に寂しさがいや増す。

冷かや佛燈靑く碁の響
季語:冷か 1897年/明治30年
囲碁好きだった人のお通夜か初盆供養だろうか、青白い仏燈の光に紛れ、時折静かに石打つ音が聞こえてくる。

碁の音や芙蓉の花に灯のうつり
季語: 芙蓉 1898年/明治31年
終日碁を打っていると時の移ろい、花の移ろいが見えてくる。
芙蓉(美しい女性の例え)と手談しようと石音を高く響かせる。一日花の芙蓉は石音に花びらを微かに揺らしながら少しずつ花色を変えていく。そろそろ日も翳ってきたか、萎み始めた花びらはうっすら灯りに染まっている。

月さすや碁をうつ人のうしろ迄
季語:月 1898年/明治31年
月の光はどこからさしてきているのでしょうか。小窓から一筋の月光が射しこんでいて、対局相手の後背まで届いているのでしょうか。それとも時は晩秋の頃、庭に面してガラス戸越しに明るい光を室一杯広く照らしているのでしょうか(子規庵を見ると、こちらの可能性が高い)。
部屋の明かりは裸電球か、あるいは行灯など間接照明でしょうか?月の光を際立たせるためには、室内の明かりは仄暗くなくてはいけません。
対局者はガラス戸を背にして対局、奥に正座している対局者は高段者か見舞いに訪れた囲碁朋と思われます。発病してまだ1年、体調の良いときの子規さんであれば、ガラス戸を背にして対局。体調がすぐれない場合であれば、病床で横になって観戦しているのが子規さんです。月の光を受けピシッと背筋を伸ばし端座、形勢を読んでいる真之。と、ここまで想像して秋山の経歴を調べてみたら、
真之は、前年の1897年(明治30年)6月26日:米国駐在武官に異動、とありました。
残念ながらこの客人は秋山ではなさそうです。

いろ〳〵の變化出て來る夜長哉
季語:夜長 1898年/明治31年
19×19路から成る碁盤には無限ともいえる変化の可能性があります。
長い囲碁の歴史の中で未だかつて同じ対局図は現れたことがないといわれるほど。今日も盤上に夢とロマンを求め、時間の過ぎるのも忘れて盤上に思いを巡らせます。

劫に負けてせめあひになる夜長哉
季語:夜長 1898年/明治31年
劫は負けじ攻め合いになる夜長かな kiku
劫に負けては勝負に負ける公算大である。ここは、勝負を長引かせるためにも、劫に勝つべくコウザイを探したり、フリカワリを狙うなど頑張らないといけない正念場。
劫に負け攻め合いにならぬ短夜や kiku
碁に負けても 劫に負けるな
<相撲に勝って勝負に負ける>
苦しい時の劫頼み
<苦しい時の神頼み>

蓮の實の飛ばずに死し石もあり
季語:蓮の實を結ぶ 1898年/明治31年
蓮の花が終わると蜂の巣状に穴があいた円錐形の花托になる。
蜂の巣に似た蓮の実は秋になって熟すと、熟れた実が穴から飛び出して空中に跳ね落下する。
この飛び出し跳ね落ちる様を「蓮の実飛ぶ」という。無事水面に落ちれば良し、飛ばずに死んでいく種もあれば、地面に落ちて芽の出ない種もある。
黒石を蓮の実に例えて、自分自身を慰めようと。

燒き栗のはねかけて行く先手哉
季語:栗 1898年/明治31年
この句は、一ひねり二捻りされた句です。そういう判断の難しい場面では手割りの手法が役に立ちます。
手割りとは囲碁用語で、石の働きを分析・評価する手法で、最終形は同じですが、手順を変えて石の働きを比較・検証するというものです。 囲碁におけるこの手割の手法を「焼き栗の」句に適用してみましょう。
最初に目を付けるところは結句の位置です。初句の前に結句を移動させると、若干句のニュアンスが異なって来ますが、今は一時目をつぶりましょう。
さて、句の位置を入れ替えた結果は
[本句] 燒き栗の はねかけて行く 先手哉
[改句] 先手哉 燒き栗のはね かけて行く
となります。本句は詠み下し風、ヤレヤレ先手で良かったわい。
改句では待ちに待った「手番だ!」という歓喜を優先。
中句「はねかけて行く」が切字構成であることが分かったら本句に戻って大丈夫。これでモヤモヤが解消したと思います。

では、本句の解釈を。
初句の「焼き栗の」はハネに掛かる枕詞と思ってもいいし、「燒栗のはね」は焼き栗がパーンと爆ける様に、妙手が閃いたとも取る事が出来ます。
中句の「はねかかけていく」は、囲碁用語の「ハネ」と「カケ」です。カケには2通りの意味がありますが、「掛け」よりも「欠け」を取るのがこの場合適当です。
すなわちハネてから相手の眼を取りに行く、ということになります。
ここまで来ると囲碁ファンの方はもうお気づきですよね。そうです、これは詰碁の「ハネ殺し」の手筋だったんです。
こういう手筋が実戦で読み切れたら、もう一生囲碁は止められなくなることでしょう。 この句は、子規さんの棋力を評価する材料になるのではないでしょうか。

『隅での攻防、手番は自分。何か石を取ってしまう手はないものか?
しばらく長考に沈む...や否やパッと妙手がひらめいた!
その閃きは、将に焼き栗が爆けるが如し。
外からハネて地を狭め、中手を打って欠け目にして仕留める!』
先手のハネ殺し。決まれば痛快この上なし!
子規さん、すごい!会心の譜(句)です!
先手哉 燒き栗のはね かけて行く kiku
燒き栗のはね かけて行く 手筋哉 kiku
囲碁ファンなら『先手』を『手筋』と詠んで満足してしまいますが、これでは在り来たりの説明調になってしまい、感動がありません。
手割り(手割論)とは
定石の変化、あるいは実戦で生じた部分的な形を、石の働きや効果を分析して優劣を判定すること。 その方法は、類似形の定石を基に比較したり、いくつかの石をプラスまたはマイナスして原型と比較したりする。

碁にまけて厠に行けば月夜哉
季語:月夜 1898年/明治31年
最近のトイレは窓のない建物の内部に作られている事が多い。
庭付きの一戸建て住宅であっても、精々換気のための小窓があるくらい。ゆったりと戸外を見渡す状況にないので、なかなかこの句のようには味わい難い。
昔は厠といって離れにあるか、廊下を通って行ったものだ。特に晩秋ともなると多少寒さを感じながら用を足していた。
碁に負けて自分の不甲斐なさを独り言(ご)ちながら、俯いて歩いていくと月が明るく照らしていた。
ああそうか今日は十三夜、気分も少し晴れたよう。

碁の音の林に響く夜寒哉
季語:夜寒 1898年/明治31年
澄明に透き通った秋の夜長、深閑とした旅の宿での一風景であろうか。碁盤に石打つ音だけが時折ビシッバシッと静寂を突き破る。

勝ちさうになりて栗剥く暇哉
季語:栗 1898年/明治31年
勝負事は何であれ、勝ちを意識すると乱れが生ずるもの。『勝つと思うな、思えば負けよ』と歌にも出てきます。囲碁も例外ではなく、石持つ指が震えるとか、脳の神経回路が一つ掛け違うとか...。そこでこういう場合、腹式呼吸をやるとか、トイレ立ちして頭を冷やすとか、一息入れるのがよろしい。
子規先生手拍子を戒めるどころか、どうも勝ちを意識して高をくくっているよう。相手が長考しているのを横目に、栗の皮をむこうかとは。この余裕が油断でなければよいのですが...。

淋しげに柹くふは碁を知らざらん
季語:柹 1898年/明治31年
仲間は句会で集まったのか、病気見舞いに皆で集まったのか?一区切りついたところいつもの流れで対局することに。 対局者は嬉々として碁に興じているが、碁に疎い者の悲しさ。傍目にさえなれず、手持ち無沙汰につくねんと座っている。
やがて傍にある柿に手を付け、何とかその場をやり過ごしている。そんな碁を打たぬ無粋な仲間を見て子規さん、少々憐れんでいる様子。