源平囲碁の機微

序奏

囲碁というゲーム

        源平の系譜

平安時代についてわかりやすく【7】源氏と平氏ってどこからきた誰? – 日本史ゆるり (nihonshi-yururi.com)

源氏の流派                   平氏の流派

源氏の出自

源氏の家紋

平氏の出自

平姓を受けた流れは、大きく分けて桓武天皇から出た桓武平氏、仁明天皇から出た仁明平氏、文徳天皇から出た文徳平氏、光孝天皇から出た光孝平氏の四流があります。

桓武天皇の孫の高望王が、宇多天皇の勅命で「平」の姓を賜り、皇族から臣籍降下(861年)しました。ここでは平清盛を輩出した桓武平氏の高望王(たかもちおう)(生没年は諸説あり、不詳)を平氏の祖と称することにします。平高望の子孫は武士として活躍しました。

平氏の家紋

前奏

あをによし奈良の都は咲く花の
     薫ふがごとく今盛りなり
         太宰少弐小野老朝臣
 (だざいのせうにをののおゆのあそみ)

いにしへの奈良の都の八重桜
     けふ九重に匂ひぬるかな
伊勢大輔(いせのたいふ/いせのおおすけ) 
          小倉百人一61番歌

始め (対局前風景)

御祈願は 武運長久 囲碁のこと

打つ前に 対戦相手の 品定め     

囲碁サロン 顔見て選ぶ 碁の相手

打つ前に 御託並べて 石置かず

※ 御託(ごたく)を並べる:

  自分勝手なことを、もったいぶってくどくど言う。

碁託宣 いつでも聞くが 御託止め

碁託宣 言うのは自由 御託すな

※ ご‐たくせん【御託宣】

 1 「託宣」を敬っていう語。神のお告げ。ありがたい仰せ。

 2 人の下した判断や命令を、冷やかしの気持ちを込めていう語。

まぁ碁でも 打とう話は それからだ

挨拶も せずに石置く 粗忽者

互先 黒持ちたがり 譲り合い

束の間の 上位者気分 白を持ち

ニギリなら 先後問題 揉めもせず

深々と 一礼をして 碁笥を取り

礼もせず すぐに碁笥取り 石を置く

初手はお茶 聡汰をまねて お~いお茶

粂寺弾正 「毛抜」 國秀画

武士の台頭 : 承平・天慶の乱

武家平氏の興り 初代棟梁は平高望

平忠盛

武家源氏の興り 初代棟梁は源頼信

源 義朝

源義朝(『平治物語絵巻』より)

本奏 序

平清盛 藤原豪信

『天子摂関御影』(南北朝時代の絵巻。宮内庁三の丸尚蔵館所蔵)

「此一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし」 平家物語 平時忠

囲碁小史 序

 囲碁の歴史|公益財団法人日本棋院 より抜粋

国宝 源氏物語絵巻 竹河 (二)

国宝 源氏物語絵巻 竹河 (二)

鎌倉時代(1192-1333)・室町時代(1338-1573)は、公家文化から武家文化へ、さらに仏教などあわさった文化が地方へ広まっていった時代です。
宮廷、貴族に広まった囲碁は、武士、僧侶などの知識階級へ、またしだいに農業、商業の人々の間にも広まっていきます。

日蓮宗僧侶の日海(後の本因坊算砂(1559-1623))は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三代にわたり囲碁をもって仕えました。 1603年、徳川家康が征夷大将軍となったとき、日海がお祝いに参上して、家康と五子で対局をしています。後に家康の指示で日海は寂光寺を弟の日栄に譲り、隠居して「本因坊算砂」と名のり「名人碁所」に任ぜられました。
1612年、幕府は本因坊算砂らに俸禄を与え、プロの棋士が誕生しました。
そして、1626年には御城碁がはじまります。それ以来、囲碁は日本の国技として発展していくことになります。

本因坊算砂 ( 京都・寂光寺蔵 )

1800年代に入ると、囲碁界は黄金期を迎えます。

序盤 (戦い)