川諧序文

俳句・川柳は芸術なりや

文学とは言語表現による芸術作品。詩歌・小説・戯曲・随筆・評論など。文芸ともいわれます。

また芸術とは特殊な素材・手段・形式により,技巧を駆使して美を創造・表現しようとする人間活動,およびその作品です。建築・彫刻などの空間芸術,音楽・文学などの時間芸術,演劇・舞踊・映画などの総合芸術に分けられます。

この定義によると、俳句や川柳は詩歌としての一形式であり、文学の一つの形態です。

また、文学は時間芸術の一分野であるから俳句や川柳は、形式的には芸術になりうると言えるでしょう。

さて、ここで芸術を質・量・作者のバックグランドの観点から考えてみたいと思います。

俳句文化論

雪の朝 二の字二の字の 下駄のあと(田捨女)         – 矢嶋武弘の部屋 (goo.ne.jp) より引用

      雪の朝 二の字二の字の 下駄のあと

 ・・・これは田捨女(でんすてじょ)という江戸時代初期の俳人が作ったもので、7月22日の「下駄の日」によく紹介されるそうだ。この句が世に出て370年が経つが、今でも人口に膾炙(かいしゃ)するというのは正に“名句”なのだろう。

 さて私が最も驚いたのは、捨女がこの句を作った時、彼女はまだ6歳の“幼女”だったというのだ。江戸時代だから、数え年の6歳というのは今で言えば満5歳ぐらいだろうか。そんな幼い子が後世に残る名句をつくったという所に、私は俳句の面白さを感じる。

 つまり、6歳の幼女は何の理屈もこねたりせずに、素直な気持で句を詠んだのである。そこには「写生」がどうのとか「幽玄」がどうのといった大人の理屈はない。幼女の素直な目と心、感性がこの名句を生んだのである。

 そこで考えるのだが、芸術一般、つまり絵画や彫刻や音楽、小説や作詩、劇作などにおいて、6歳の子供が名作をつくることが出来るだろうか。名作どころか作品をつくること自体、まず無理だろう。ただ例外として、モーツァルトが5歳で作曲したそうだが、その作品が名曲だとは聞いていない。

 モーツァルトは稀有の天才だから5歳でも作曲したのだろうが、俳句以外の芸術では、一般的に幼児が創作するのはとても無理である。ところが、俳句では捨女のような幼児が、後世に残る名句をつくることが出来るのだ。

 つまり、これは「芸術」以前の話である。そこには五・七・五の17音を定型とする伝統的な「文化」が存在していたのだ。だから、6歳の幼女は難しい理屈など考えずに、素直な気持で句を詠むことが出来たのである。

そう考えると、俳句は「日本文化」の一つであって、本来は「芸術」ではない。俳句は短歌と同様に、感性によって芸術性を高めることは可能だろう。それは、大勢の俳人が努力すれば良いことだ。しかし、6歳の幼女が後世に名句を残すということを、読者諸氏はいかに考えるだろうか。

 日本文化とはこの場合、民謡とか童(わらべ)歌、俗謡、都々逸(どどいつ)などの類いだろうが、それらは日本人の中に自然に生まれ育ったものである。俳句も同じような文化の一つとして育ったのである。6歳の子でも簡単に作れるものを「芸術」と呼んだら、他の「芸術」があまりにも可哀そうだ。

 日夜、音楽や絵画、文学作品などの創作に刻苦精励している芸術家は、そんな俳句が芸術だと知ったらたぶん怒るだろう。もう一度言う。俳句は日本の大衆的な「文化」の一つであって、決して「芸術」ではない。それは“衣食住”の文化と同じレベルのものである。 
             (2010年10月25日) 』

文芸私感

「俳句文化論」はなかなか鋭いご指摘で、私も若干コメントしたいと思います。

(1) 量的観点

17文字からなる俳句1句をもって、これを芸術作品だと称するのは聊か気が引けるものの、連歌のように一連の作として編まれたり、秀作を集めて句集と成された場合、これは最早文学延いては芸術作品としての評価を受ける対象として考えても良いのではないか。運命交響曲が小節から始まり、小楽節、大楽節、一部形式、二部形式、...と書き連ねられて、ついには壮大な交響曲を奏でる楽譜となるように。すなわち、俳句1句、大楽節1つを取り上げて芸術云々の論議は無理というものです。芸術作品としての評価をするにあたっては、ある程度の数量(ボリューム)が必要ということです。

別の例で、新聞紙上で人気のある『4コマ漫画』を見てみましょう。

4コマ漫画の1コマ1コマは、俳句の5・7・5の各フレーズに相当します。4コマ漫画では起承転結でストーリが展開され、俳句では『切れ字』が用いられることにより情景や思考の転換が実現されます。
4コマ漫画なり俳句が編纂され、1冊の漫画本や俳句集(作)に纏められると、時に、芸術作品として評価されることもあるでしょう。手塚治虫の「火の鳥」や中沢啓治の「はだしのゲン」など...。

部分だけを見て芸術であるかどうか判断することの危うさは囲碁についても言えます。
囲碁は白と黒の丸い石を使って、19×19のマス目を持つ盤に並べていくゲームです。単なる石ならべと違って、各着手は相手との駆け引きにより無限着想から生まれます。『定石』と呼ばれる定型の手筋はそのような着手の部分的な場面です。定石はある場面での最高傑作と言えるものですが、これを芸術という人はいないかも知れません。しかし、定石が打たれた後また、無限の着手に想いを馳せ、...。

このように着手を尽くした果てに終局を迎えるわけですが、波乱に満ちた一手一手の織り成す戦いは鑑賞に値します。名人碁、タイトル戦など歴史に残る棋譜が多々残されています。
後述する桑原武夫の「第二芸術」説には、有名無名の俳句を並べ、秀句かどうか評価させた結果、はっきりした評価が得られなかったことが紹介されています。これは半目を争う名人の碁も低段者の碁も手順や解説抜きの棋譜を見せて評価させるようなものです。

ですが、棋譜に手順が書き添えられると、対局者の思考法が分かり、名人の碁と初心の碁は厳然と明白になるのです。

初心者も 名人級の 序盤迄 kiku

ハート完成図

この図は一見、白石と黒石でハート形を描いただけの図のように見えますが、実は、シチョウという囲碁の手筋(アルゴリズム)を駆使して、白石と黒石を交互に置いていき、ついには黒石を全部取り上げてしまおうというものです。

ハート作成手順図

(2) バックグラウンドの観点

幼少期から大人や専門家に優るとも劣らない能力を発揮した例をいくつか見てみましょう。

たとえば、絵師としての狩野探幽 – Wikipedia

『 探幽の才能は、幼少期から群を抜いていました。彼が5歳の時には、すでに墨絵を自在に描き、周囲の大人たちを驚かせたと伝えられています。また、8歳の頃には、父の作品を真似て屏風絵を描いたという逸話も残っています。これらの作品は、当時の画壇においても高く評価され、「神童」と呼ばれるほどでした。

特に、探幽が幼少期に描いたとされる龍の絵は、後に徳川家康の目に留まることになります。家康は、その緻密な筆遣いと構図の巧みさに感嘆し、まだ幼い少年に対しても一目置くようになりました。この出会いが、後に探幽が幕府御用絵師として抜擢されるきっかけとなります。慶長17年(1612、11歳)、駿府徳川家康に謁見し、元和3年(1617)、江戸幕府の御用絵師となり、元和7年(1621)には江戸城鍛冶橋門外に屋敷を得て、本拠を江戸に移した。江戸城二条城名古屋城などの公儀の絵画制作に携わり、大徳寺妙心寺などの有力寺院の障壁画も制作した。山水、人物、花鳥など作域は幅広い。』

           加納探幽 桐鳳凰図(六曲一双)サントリー美術館

囲碁界からは「碁の神様」といわれた呉清源

『 華やかで自由な棋風と圧倒的な強さでファンを魅了した。独創的な新布石を生み出し、昭和の囲碁界に君臨した天才棋士である。

大正3年生まれ。少年時代を北京で過ごし、7歳の時父親から碁の手ほどきを受けた。12~13歳頃には北京随一の打ち手となっていた。「中国に天才少年あり」の噂は日本に伝えられ、昭和3年、14歳の時に日本留学。試験碁を受けていきなり飛び付き三段を認められる。そして一人の好敵手と出会う。囲碁界期待の星・怪童丸の異名を持つ木谷実四段だ。二人は伝統の定石を一変させる新布石を研究し、囲碁界に革命をもたらした。

  • 1914年5月19日 中華民国福建省で生まれる。
  • 1921年 父より囲碁の手ほどきを受ける。
  • 1926年 囲碁の天才少年として北京で評判となり、日本人クラブで初めて日本人棋士と対局。
  • 1928年10月18日 来日し、瀬越憲作名誉九段に入門。翌年、飛付三段。

呉 清源|人物|NHKアーカイブス

更に、幼少の頃から活躍している二人の若い天才棋士を紹介します。

仲邑 菫(なかむら すみれ、2009年3月2日生)
韓国棋院所属の囲碁棋士(客員)四段。
東京都生まれ、大阪府出身。

3歳で囲碁を覚え、3歳7か月でアマ囲碁大会に初出場した。史上最年少(13歳11か月)でタイトル獲得(女流棋聖)。
2019年1月5日(この日は日本棋院が「囲碁の日」と制定している)に、プロ入りが発表された。
日本棋院の英才特別採用推薦棋士第1号として10歳0か月でプロ入り。最年少棋聖戦Cリーグ入り、最年少タイトル挑戦など多くの最年少記録を有する。
2024年10月、韓国棋院に移籍、現在武者修行中。 
2024年度成績:66勝34敗

藤田 怜央(ふじた れお、2013年4月25日生)
関西棋院所属の囲碁棋士。初段。大阪市出身。

2022年9月に関西棋院の英才採用特別規定に基づき入段し、世界最年少(9歳4か月)で囲碁のプロ棋士となった。
小学生ながら大人のプロ棋士とほぼ互角の成績。
2025年の成績: 4勝6敗(9月8日現在)

最後に、音楽界から天才児をご紹介しましょう。

天才ヴァイオリニストHIMARI (ヴァイオリニスト)

HIMARI(ひまり、2011年6月24日生)は、日本のヴァイオリニスト(本名「吉村妃鞠」(よしむら ひまり))。

『 2歳半でヴァイオリンに触れ始める。祖母が持ってきた母の子供時代のヴァイオリンをおもちゃのように遊びながら弾く。3歳の頃には母のヴァイオリンの練習をまねて演奏するようになり、自分で「オムライス」「冷蔵庫」という曲を即興で作曲し演奏。3歳からヴァイオリンの稽古を始め、3ヶ月目にはバッハを弾く。4歳の頃からコンクールに出場するようになり、5歳で国際ジュニア音楽コンクール(IJMC2016)に出場。

2017年、6歳でプロオーケストラと共演。

2018年の6歳時にレオニード・コーガン国際ヴァイオリンコンクールで1位。

同年7歳時にブリュッセル(ベルギー)のグリュミオー国際ヴァイオリンコンクールに最年少出場で1位優勝、「7歳の〝Wunderkind”(神童)がグランプリ」と報じられ、その際の動画再生数は100万再生を超える。以後9歳までに日本国内外の39のコンクールで1位となる。

10歳までに日本・欧州などの42のコンクールで1位。複数のオーケストラと共演。2022年、アメリカのカーティス音楽院(大学に相当)に最年少10歳で合格し、11歳で進学。

2024年2月16日、イギリス・ドイツのマネジメント事務所「KD SCHMID」とアーティスト契約を締結。

2025年3月18日、名門英国レーベル「Decca Classics(デッカ クラシックス)」と契約発表。

2025年3月、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期公演にアジア人最年少ソリストとしてデビュー。現在は日米を行き来しながら活動する。 写真 HIMARI

(3) 質的観点

文芸の質を論じる積りはありませんし、私にそのような能力もありません。文芸の質は作品に込められた技巧の高さや複雑さ、鑑賞者に与える思想の高邁さや影響力・感動の大きさなどでしょう。まず、必要条件は多くの人々に影響力を与えている証拠、例えばミリオンセラーであることは有力な判断基準となります。内容的な判断基準としては、芥川賞や直木賞、あるいはノーベル文学賞(評価内容は非公開であり、作品そのものの評価よりも著作者の思想性や社会的貢献度などを重視しての選考なので、文芸の質を論じるのにはあまり適さない?)など各専門家にお任せしたいと思います。

桑原武夫の「第二芸術 ―現代俳句について―」で論じられ、大きな論争が展開された経緯があります。

「第二芸術 ―現代俳句について―

『この論文では桑原はまず作者名を伏せたうえで、大家の作品のなかに無名の作者のものを混ぜた15の俳句作品を並べ、作品からは素人と大家の優劣をつけることができないとする。ここから俳句においては大家の価値はその党派性によって決められるものであるとして批判し、また近代化している現実の人生はもはや俳句という形式には盛り込みえず、「老人や病人が余技とし、消閑の具とするにふさわしい」ものとして、強いて芸術の名を使うのであれば「第二芸術」として区別し、学校教育からは締め出すべきだという結論を導き出している。』
桑原武夫(『世界』1946年11月号に掲載)

「第二芸術」論を発表してから22年後、『桑原武夫集7』に収められている「西洋崇拝からの脱却」(岩波書店、1980・10)において、日本の伝統文化・芸術への認識を改めています。
    武夫の変節 ―『第二芸術』を避け続けた桑原武夫―
   伊藤 無迅

                                               参考資料室/芭蕉会議 より

川諧まとめ

田捨女の『二の字二の字の』が芸術作品かどうか私には判断する能力はありませんが、幼少期から天分を秘めていたことは間違いないでしょう。貞門女流六歌仙の1人として著名であり、後年出家後も後進の指導に当たったことなど考えれば、幼児の捨女も才能ありと思われます。

『           栴檀は二葉より薫し、梅花は(つぼ)めるに香あり

香木に使われる栴檀は、芽生えたときからすでに芳しい香りを放っている。梅も蕾のころからいい薫りがする。のちに大人物になるような人間は、子供のときから人並み優れた素質を見せることをいいます。 』

幼い頃から一流の芸術家に劣らぬ才能を発揮する天才児はいるものです。天才児には、常人や凡人には思いもよらぬ才能が備わっています。 柏原陣屋跡の田捨女

MLB Dodgersの大谷選手は投打の「二刀流」で大活躍をしています。サイ・ヤング賞を受賞する好投手がいる一方、年間60本以上も打つホームラン王がいます。分業化、専門化が高度に定着している現在、一人の人間が投打の両方でMVPになることは困難至極なことです。
それを実現しようとしているのが大谷選手です。空高く舞い上がる場外ホームランを打ち、ホームランを量産する一方で、剛速球と制球力を操り、バッタバッタと打者を三振に仕留める活躍は分業化が徹底した今日、ファンにとって新たな夢を与えてくれます。投手としての活躍の場に、打者としての活躍、更に走者としての活躍、そのような一流の活躍が複合されたプレーはファンの関心と興奮を掻き立ててくれます。

私は、俳句と川柳とが持つそれぞれの味わいを基に、それらがコラボして新たに織りなす興趣を想像します。

結局のところ、俳句や川柳など短詩句が芸術というべきかどうか私には判断できません。

しかし、俳句の美しさと川柳の軽妙洒脱をフュージョン出来ないものだろうか...。

文学や芸術が持つ深遠な人生観や思想性技術性などとは別に、俳句と川柳がそれぞれの目指す道を歩み、それぞれの理想の姿を追求することにより、互いが更に洗練されていくことでしょう。そして俳句と川柳のコラボによって生まれる川諧が、多くの色々な人たちに共感や喜び・楽しみを提供する活動の形態(エンターテインメント)になることを願ってやみません。

川諧 せんかい 、 Let’s start SENKAI !

付録: 俳句と川柳の作り方紹介

・俳句の作り方ガイド
     ほーほけきよ、隣のだれかさん

川柳の作り方ガイド|初心者でも五七五で詠めるコツと例文

【初心者向け】簡単な川柳の作り方ガイド           楽しく上達のコツを学ぼう          優遊自適

川柳に対して後付けに七・七を付加して短歌形式にしたもの。川柳により一層味を持たせようとする試みです。

いろは四十八句仙 中山典之

ユーモア短歌(笑歌) – YouTube